2011年9月17日土曜日

「チェコの天国」(ヤーラ・ツィムルマン劇場)


「チェコの天国」(ヤーラ・ツィムルマン劇場)
České nebe (Divadlo Járy Cimrmana)













チェコ語の書き言葉と「会話」の間にある大きな壁に気付き始めた頃、「自然な会話が『書かれたもの』を読みたい!そうだ、演劇の台本だ!」と手に取ったのが、ヤーラ・ツィムルマン劇場(Divadlo Járy Cimrmana)の「チェコの天国」(České nebe)でした。※

この劇場の創設者であるヤーラ・ツィムルマン(Jára Cimrman)は、テレビ局がおこなった「チェコ人が選ぶ最も偉大なチェコ人ランキング」でも大多数の票を得たのですが、ご存知でしょうか?
彼は18531859年の間、いやもしくは18641868、はたまた1883年に、チェコ人の父、オーストリア人の母のもと、ウィーンに生まれ(しかし彼自身は『チェコ人』としてのアイデンティティを持っていたという。)、世界中を旅し様々な偉業を成し遂げた、とされています。

例を挙げると・・・
・パラグアイに人形劇場作る
・ヨーグルト菌を発見
・サモエドの研究
・エジソンが電球の製作に取り組んでる際、ソケットのおへそ部分を捧げる
・ツェッペリン伯爵と共にチェコの帆を使ったゴンドラ飛行船を開発
・雪男ヤー・ティ(チェコ語で「私・君」)を考え出す(後にイギリス人によって「イエティ」として広められる)

他にもビキニ、CDィムルマンのィスク)、インターネットの理論、低脂肪乳など、数多くのものを発明
(ナイフとフォークを使って食べることがいかに効率が良いかを教えるため、日本へ渡ったなんていうエピソードも。)

世界中を放浪する歯科医として働いていたそうですが、チェコで幾人もの口を開き、彼らが抱える問題や不満を聞くうち、作品の題材と出会い、劇作家として目覚めたそう。しかしながら当時、彼の作品があまりにも芸術性の高いものであったために、文学評論家からの理解は得られることはなかった、とか。
(ソース:Cimrmanův zpravodaj. http://www.cimrman.at/


まぁなんと偉大な人物がチェコにいたのでしょう、と驚かれること必至ですが、実は彼、劇作家ラディスラフ・スモリャーク(Ladislav Smoljak)とズディェネク・スヴェラーク(Zděnek Svěrák)が考え出した架空の人物なのです。

しかしながら、チェコ人の間でヤーラ・ツィムルマンの人気は絶大。
劇場には彼の銅像が置かれていますし、チェコ工芸品のお店でも、彼の顔(といっても顔はない)を象ったガラス細工が立派に飾られているのを見たことがあります。あぁ、北部の街ではこんな銅像披露式典まで(3分50秒辺り)
(話をしているのはスヴェラーク氏)

ちなみに前述致しましたテレビでの投票は、「このままでは上位にノミネートされてしまう!」と焦ったテレビ局が、ツィムルマンへの投票を禁止する事態にまでなりました。(その後インターネット上では、ツィムルマンへの投票許可を要求する署名活動まで登場したそうです。)

偉大な国の英雄に陶酔するという場面、日本でも最近はあまり見かけないのかも知れませんが、少なくとも竜馬はいつだってヒーローでしょうし、篤姫は絶大な人気を博しましたし、「美化」された国民的英雄像、私は何の違和感を持たずに受け入れます。

しかし、チェコの人はそう一筋縄ではいかないようです。こうしたツィムルマンのような虚像を、偉大な英雄へと持ち上げることを、皮肉混じりのジョークとして国民全体が共有しているわけです。権威への不信、英雄のパロディを扱うジョークは、もはやお家芸といっても過言ではないかも知れません。

ちなみにこちらは、きっとチェコで今一番知られている現代アーティスト、ダヴィッド・チェルニー(David Černý)の作品。ヴァーツラフ広場に立派に構えられた、聖ヴァーツラフ像のパロディ。馬がひっくり返っています。

(写真元:ルツェルナHPより⇒http://www.lucerna.cz/o_lucerne.php)

金次郎さんや西郷さんがひっくり返され、アート作品にされていたら!?
作品としてはメッセージが明らか過ぎて物足りない感じもしますが、「この作品を受け入れる寛容さ」というか、「非陶酔への自信」というか、そんなものがチェコならではであり、この作品が抱えるものなのかなとも思います。

さてこの「チェコの天国」でもそうですが、ヤーラ・ツィムルマン劇場の作品は、通常2幕から構成されます。まず第1幕が、ツィムルマン学(Cimrmanologie)を専門とする学者達の講義、休憩を挟み、本幕へと移ります。

「チェコの天国」では、第1幕で5人の学者が登場。それぞれが講義を始めます。例えば、作品が発見された経緯、ツィムルマンが作品を隠した経緯、ヨセフ・ヴァーツラフ・ラデツキー(チェコの貴族にしてオーストリア軍の元帥)についてなど。ここでもまた、学校のチェコ史やチェコ文学の授業で聞いたような話をパロディ化しながら、皮肉たっぷりに(ときには学者達自身の自虐ネタを披露しながら)語られていきます。

さて本幕ですが、ストーリーをざっくり言うと・・・
第1次世界大戦中、この戦争がチェコの土地の運命をかけた戦いになると判断したチェコ天国委員会メンバー、チェコ人の祖先(創始者というのか)チェフと聖ヴァーツラフ、コメンスキーが、さらに3人を委員会へ選出しようと、候補者を議論。その決定に至る過程を描いたもの、です。

登場人物は以下8人。
・チェコ人の祖先チェフ
・聖ヴァーツラフ(チェコの守護聖人)
・ヤン・アーモス・コメンスキー(神学者、哲学者、教育者)
・ヤン・フス(宗教思想家、改革者、説教者)
・カレル・ハヴリーチェック・ボロフスキー(詩人、ジャーナリスト)
・おばあさん(ボジェナ・ニェムツォヴァーの作品「おばあさん」に描かれるおばあさん)
・ミロスラフ・ティルシュ(批評家、美術史・美学・歴史学教授にしてソコル(国民的体育団体)創始者のひとり)
・ヨセフ・ヴァーツラフ・ラデツキー(チェコの貴族にしてオーストリア軍の元帥)

つまり、みなチェコの国民的英雄であるわけですが、彼らの描かれ方も、ユーモアあふれる劇作家によって、人間味あふれるもの(皮肉たっぷりに脚色されたもの)に仕上がっています。

新メンバー選出過程の中で、大半の時間がボジェナ・ニェムツォヴァーをメンバーとして選出するかという点に割かれます。彼女を提案したのはコメンスキー、しかし、ニェムツォヴァーは貞淑な淑女ではない!としてヤン・フスが反対、そして最後に、彼女の代わりとして、彼女の小説に登場する「おばあさん」を選出することに決まります。「おばあさん」は劇中唯一の女性であり、また唯一いきいきとした、地に足のついた議論をする人物として描かれますが、その「おばあさん」もまた架空の人物なわけです。

そして興味深いのがラデツキーの登場。彼の登場によって場の空気が変わります。ラデツキーは一方通行の会話しかしない、押し付けがましいよそ者として、敬遠されるわけですが、他の登場人物達は彼の前では聞き分けの良い者を演じ、退場後には彼をジョークのネタにするなど、ここもまたチェコの国民性のパロディなのかなと思います。

長くなってしまいましたが、この「チェコの天国」を見ながら、笑うべきところで笑えるようになるには、言葉はもちろんのこと、文化的・歴史的背景を当たり前のように理解していないと、あっという間に取り残されてしまいます。かく言う私も、1度読んだだけではシリアスに言っているのか冗談なのかすらわからず、ユーチューブで観客がどこで笑っているかを確認、なぜ笑っているのかを調べ、やっと笑えるようになりました。

大人気のため劇場のチケットはいつも完売。心配しなくとも、私が観劇中に取り残されてしまう機会すらないわけですが、チェコ人のユーモアを理解しきるには、まだまだ時間と、そして皮肉に共感できる気質が必要です。こういう皮肉にもだいぶ慣れはしましたが、「皮肉る」「嫌味を言う」=モラルに欠ける行為として生きてきた極東の国の人間には、「無礼なんじゃないか」と『恐る恐る』笑うに留まります。

(ちなみに、「チェコの天国」はツィムルマン劇場で演じられる一連のシリーズ最後の作品で、シリーズ全作品が1つになった本も発売されています。)

文法をさらった学習者の、会話への正しいアプローチとして、今は、卒業論文もご指導いただくAna Adamovičová先生著「Nebojte se češtiny」をお薦め致します。現在出ているものでは、唯一、会話にフォーカスされた中・上級の教科書です。

0 件のコメント:

コメントを投稿